何かを学んだときにしっかりとした成果を出すのは、いつだって基本がしっかりしている人です。

そうはいっても、「基本」とは何なのでしょうか。私の経験を手がかりに、少し考えを整理したいと思います(庶務課、光留)。

 

基本とは

まず、指導者のなかには「最初にやらされたこと、やったこと」を「基本」と認識している人間が一定数存在している気がします。

たとえば、社会人の基本として「時間厳守」、「明るいあいさつ」、「正しい敬語」、「整理整頓」あたりを挙げる人がそうです。ところが、私が初めて勤めた会社で上司となった方は、(頻度はそれほどではないものの)客先とのアポには遅れるわ、あいさつの声は小さいわといった調子でした。それでも成果をあげていたのです。別の営業マンは、机が汚くても会社で一番の売上を作り出していました。

どちらも、「自社に利益を出しつつ、客の希望に応えることができる」という点は外していなかったからです。(「社会人」の部分集合たる)営業マンであれば、この点に直結する要素を「基本」と捉えるべきではないかと思ったものでした。

もちろん、時間に遅れて客先の機嫌を損ね、取引を逃すということもあるでしょう。ただ、机の上をきれいに保ち、時間を守ることができる営業マンが小売店に営業に出向き、正しい敬語を使って自社商品がいかにすばらしいものかを力説したとしても、おそらく売れません。小売店の担当者が望んでいるのは「商品が売れること」ですので、既に売れた実績や、「NHKで紹介されましたよ」の一言の方がよほど効果的だからです。

もうひとつのパターンは、「基本がなっていない」ことはわかっても、「基本がしっかりとできている」状態になるうえで必要なことはわかっていない類の指導者です。

たとえば、リスニングをうまくなりたいと思うのであれば、(ある程度年齢が若く、本当に英語に没入できる環境にあれば別ですが)英語をただひたすら聞くよりも、日本語の発音(調音)と、簡単な英語を頭から訳していくトレーニングに取り組んだ方がよいのです。前者は自分の中の音の認識を細かくすることができます。後者は英語の内容理解のスピードを上げ、一時記憶にとどめておかなければならない音声の量を減らすことにつながります。

ただ英語を聞いていても、その音声をカタカナで認識している限りは細かい音の違いを判別できません。後ろから戻る読み方をそのままリスニングに適用しようとしても、短期的な記憶力の面で限界が来ます。「同じ音声」を聞き続けることは、また別の効用がありますので、必ずしも無駄ではありませんが。

ともかく、「基本がなっていない」というアドバイスは、前提として「基本」の内容を要素分解できており、その各要素について処方箋を提示できるかどうかが勝負なのです。

「基本がなってないね」だけでは、「ちゃんとやんなさいよ」と言われた程度のありがたみしかないものです。

 

英日翻訳者にとっての基本

さて、やっと本題に入れます。英日翻訳者を目指しているとしたら、基本としてどのような要素が考えられるでしょうか。

私たちは、どのようなことに取り組めば(指導者であれば、学習者に対してどのようなことを提示すれば)よいのでしょうか。

以下では、私の考えを少しまとめてみました。具体的な参考書、トレーニング内容等は省いた戦略の話です。

 

A)英文解釈の力(と思考力)を鍛える

何はともあれ日本語力、という考え方もあるかと思いますが、そもそも翻訳とは、(1)原文言語で書かれている内容を読み取る段階と、(2)読み取った内容を訳文言語に書き出す段階とがあるわけです。(2)の能力に秀でていれば、そこから(1)に立ち返ることもできるのも事実であるとはいっても、外国語そのものの地の力が大切であることに変わりはありません。その意味で、いわゆる英文解釈に取り組むことは、英日翻訳者を目指す方にとって大変よい訓練になります。

できれば、大学受験で使うような教材であって、難易度の高いものを選ぶべきです。大学受験の教材なら、専門知識いかんで出来が変わる余地を小さくすることが可能です。難易度の高いものを選ぶ理由は、感覚的にぼやっとわかってしまうレベルだと解析的思考を働かせる必要がなく、単なる英語の訓練にとどまってしまうからです。

先生に「文法力が足りない」と言われたからといって、文法の問題集をやるのはそれほどお勧めしません。文法の問題集を開いて自分のまったく知らない単元があるようなら多少の効用もありますが、翻訳者を目指す方であればそのようなことはあまりないはずです。それよりも、英文解釈に取り組むなかで妥協することなく解析的思考を繰り返しながら、訳文につじつまが合わないところが出てきたときに文法書を見るという方が有益だと思います。

思考力、と書きました。思考の力は日本語の文章でも鍛えることができます。ただ、日本語単独では言葉とその内容・実体との関係に細かく切り込むことはなかなか難しいものです。

外国語を学習していると、否が応でも母語を解析的に捉えることになります。簡単な例を挙げるなら、「牛」と言ったら、食い物としての牛(beef)なのだろうか、それとも生き物としての牛(cow、cattleなど)なのだろうか、とか。そういったことの一つひとつが、思考力を鍛えることにつながっていくのです。

 

B)日本語の型を身に付ける

日本語の基本的な構造のルールを学びましょう。美しい表現云々はあまり重要ではありません。幸田文の文体が好きだとしても、ITのマニュアルを幸田文の文体で書かれても困るわけです。それよりも、基本となる型を身に付ける必要があります。

型を身に付けるには、制約を多めに設けなければなりません。現実には広く用いられている表現であっても、ルールに反するものであれば、初めの段階では使わないようにします。そうしないと、原則と例外の区別ができなくなり、不自然な訳文を不自然だと思えなくなってしまいます。基本的な構造のルールがわかっていれば、訳しやすい文の処理速度(訳文の構築速度)が上がる効果も期待でき、難しい部分に時間を割くことができるようになるでしょう。

 

C)自分が取り組む分野に関する知識を付ける

上のAとBに比べればいささか枝葉の話になるものの、原文言語で書かれている内容を読み取る段階のミスを検出しやすくなります。英語は論理的な言語だなどという言説(※)もありますが、翻訳をやっていると、文法的なヒントからでは係り先がどうとでも取りうるという場面によく出くわすものです。そのような局面では、日英二言語の思考力のほかに知識がものをいいます。

必要なことは原文に書いてあるのだから、知識はそれほど重要でないという考え方もあります。ただ、その水準に達するのにかかる労力を思えば、知識を付けた方がよほど楽でしょう。

(※)日本語ではわかりやすく区別していない概念が、英語だとはっきり区別されていたり、日本語では省く内容が英語だと明示されてたりすることがあるからでしょう。もっとも、逆のパターンもありますので、英語ばかりが優れた言語というわけではありません。英語も案外いい加減です。I am a studentとか。

 

さて、色々書きましたが、実際に効果があるかどうかは検証できずじまいです。

あるとき機会があって、上の趣旨の話をしたところ、「よかったら教えてくれないか」と言ってくださる人がありました。私もいい経験になると思い、承諾しました。初のお弟子でした。記念すべき初めての課題を作成し、提出された答案を添削しました。2度めの提出はありませんでした。今でも連絡は途絶えたままです。短い師匠体験でした。

 

そう、私は「なっていなかった」のです。人望獲得の基本が!

 

投稿日:2017年2月25日 | 最終更新日:2023年10月25日