「サトコとナダ」が昨年11月に最終回を迎えました。
てっきり数年後まで時間が飛んで二人が再会するシーンであるとか、もっとわかりやすいドラマチックがあるかと思っていたら、予想に反してあっさりとした終わり方。でも、自分の留学時代を振り返ってみると、あの方がむしろリアルなのかもしれません。そう考えると、むしろアレだから良かったと思えるくらいです。
そしてふいに思い出しました。いつぞやに書いたルームメイトのことを。
留学先のイタリア。学生が色んな国から集まってくる国際大学で、彼はアメリカからやってきていました。
ルームメイトとして一緒に生活をすることになって1~2週間経ったくらいでしょうか。帰ってきた彼の様子がどうにもおかしかったので、少し話をしていたときのことです。
どうやら、色んな人たちから話しかけられることに疲れてしまったようでした。学生同士のコミュニケーションに使っていたのは英語。当然、英語の運用が上手い人もいれば、そうでない人もいました。そして、後者には練習相手が必要です。人当たりのよい彼は、知らず知らずのうちに色んな人の練習相手に選ばれてしまっていた。事情としては、そんな感じだったでしょうか。
彼が驚いたのは、上に挙げたような状況を、自ら語るより先に私が細かに言い当てたことでした。しかも、その状況に対する彼の感情の動き、モヤモヤした思いに至るまで。それが、ハイコンテキスト文化で生きる日本人一般の傾向によるものか、それとも(対人関係スキルに問題を抱える)私個人の傾向がたまたま彼に近かっただけなのかは、今なおわかりません。ただ、そのときの私は、確かにそういう奇跡を起こした。そして、彼をいたく感動させてしまった。聞けば、母国には(というより、彼の周囲には、というだけだと思いますが)そんな芸当ができる人間などいなかったと。自分の気持ちをわかってくれる人間などいなかったと。
そして、少し迷った様子を見せながら言うのでした。
「君だから言うよ。ぼくはゲイだ」
とっさに口から出たのは、「で、君にとってぼくは性的に魅力的な対象なのかしら。そうなら部屋を変えてもらうなりしなくちゃいけないけど、そうでないなら何の問題があるのだろう」といったような感じの言葉でした。
私はどうも、良くも悪くも理屈先行の人間なのかもしれません。反面、ともすると相手の感情に対する配慮が欠落するのです。今思えば、「言ってくれてありがとう」とかなんとか、もう少し寄り添いようがあったような気がします。そういえば、小学校高学年のころ、掃除当番でトイレ掃除が回ってきたときに、「家のトイレだって男女分けてないじゃないか。早く終わって何が悪い」と女子トイレの掃除を手伝って問題になりましたっけ。
ともかく、彼の返答は「No」。あとはそれきりです。
共同生活は心地よく、楽しいものでした。このことは、彼がゲイでなかったとしても同じだったかもしれません。しかし、一部は彼がゲイだったからでもあるでしょう。
思うに、ある個人を何らかの枠組みから切り離して把握するということはきわめて困難です。私は「魚座」で「O型」の「日本人」「男性」であり、「近眼」で「メガネを着用」しています。あとついでに「翻訳業界の人間」です。「ゲイ」というカテゴリは「O型」とか「メガネをかけている」とか「漫画が好き」とかいった属性のひとつに過ぎません。で、その属性は私にとって新鮮かつ興味深いものだったわけですから、彼との共同生活に対する印象にその要素が多少の影響を及ぼしたことは否定しようがないのです。
一緒に過ごした期間は4か月弱。互いに筆不精で、もう10年以上連絡を取っていません。結局、私は彼のサトコにならなかったし、彼は私のナダにならなかった。そういうことでしょう。
しかし、アルバムにはこんな写真があります。彼が帰国する日、駅で見送りを済ませた後、部屋に帰ったときに撮影したものです。
彼はいつもこうして、枕を背もたれにして本を読んでいたものでした。その枕が主を失ってもなおそのままになっている光景です。
小学校から高校まで、卒業式などの別れの機会に何の悲しさも感じなかった私。駅で彼を見送ったときも、「そういうものだ」と納得していた私。それが、この光景を前にして、珍しく少しさみしいような気がしました。それで、その気持ちを写真に残したいと思ったのでしょう。他人からすれば妙な光景であっても。
すると、あのときの彼は確かに私のナダだったのかもしれません。