子供の頃は人より早く文章に興味を示し、本や漫画をあれこれ読むのが楽しかったのですが、そうやって書籍を手に取ることも高校3年の頃には何故か億劫になってしまい、大学(英文学科)に進学してからは、あまり勉強熱心でない学生生活を送っていました。
それでも大して成績に問題がなかったのは、ひとえに高校時代までの学力、特に国語力の蓄えのおかげだったと思います。英文学科とはいえ英語にどっぷりというわけではなく、どちらかといえば文学作品の考察と、自分の考えをまとめたレポート作成が主でしたから、それまでに培った国語・英語の読み書きスキルだけで結構何とかなってしまったのです。大抵の文章はスムーズに頭に入り、読み、書き、どちらも負担に感じたことはありませんでした。だから、「自分は文章を読むことが得意だ」、「自分は文章を読むスピードが速い」と思って疑わなかったのです。
ところが、TPJに入社してのち、「さまざまな業界知識に触れるため、何でもいいから本を読もう!」となったとき、その自己イメージは崩れました。たとえば情報技術の本だったり、銀行の仕組みを解説する本だったりが手元にあるとします。1行ごとに目が滑り、1ページごとに投げ出したくなるありさま。思った以上に「読む」ことを大変に感じたのです。
私は色々と仮説を立てました。知識が不足しすぎているだけではないか? 目が疲れているのか? こんなに何度も読み直さないと理解できないなんておかしい、文章とはこういうものではないはずだ。そんな違和感を持ちつつも、結局は地道に読み解くしかないわけで、ちまちま読み進めてはしおりを挟むことを続けていました。
ところが、最近久しぶりに「スラスラ読める」文章に出会うことができました。ふらっと入った喫茶店にあった、NHKのドキュメンタリー番組の総集本。出版年は1989年とかなり古い書籍でしたが、その昭和時代の香りの残る文体が非常に目に馴染み、飛ぶように読めたのです。実用書の文章とは決定的に何かが違いました。
こうなると分析をしたくなり、その本や、もっと新しい世代の雑誌等を適当に拾い読んで比較した結果、その「読みやすさ」の正体は以下のとおりでした。
※たぶん今風の文体でありません。川津にとっての読みやすさの紹介としてお読みいただければ幸いです。
・文章全体のイメージの元になる語句やフレーズが、冒頭に短く書かれている。唐突にも思える風景描写や台詞。(長々と連なる青い山脈。ここ雲南の…/わずか10センチ×15センチの葉書に気持ちをしたためる。年賀状は昔から~)
・文章の趣旨の説明は2文目以降に配置。(我々は〇〇の目的で~~施設へ取材に訪れた。)
・修飾語を長々と積まず、後ろに別のフレーズや文として独立させる。これによって一文を短くしたり、係り受けの関係を簡単にしたりする。(ここにいるのは、紛争を逃れてきた移民たちだ。かねてより地元住民との衝突が絶えない。)
・適度な体現止めと無生物主語。(簡単に写真をプリントアウト。わかりやすいボタンの配置が間違いを防ぎます。)
・指示語をかなり使う。(彼らの生活を圧迫しているのがこれだ。)
・書き手の主観を匂わせる。(~~なほどに、~~ですら、まさかの~~、にもかかわらず~~)
上記の何が読みやすかったかというと、次のとおりです。
まず、冒頭からイメージが提示されているので、読み始めた瞬間から脳裏に情景が浮かびます。それは映像を見るのにも似ていて、最初に「引き」の視点で全体像が示され、そのイメージを保ったまま、2文目以降から視覚効果を伴わない説明のナレーションが流れてくるのです。その後に続く文やフレーズも、それぞれが短い長さでまとまっているので、あちこちに視線を飛ばさずとも、十分に物事の相関関係がイメージできます。
さらに、無生物主語のなんと便利でわかりやすいことか。物事の相関関係がすっきり示されます。あちこちに出て来る指示語にも違和感はほぼなく、さらに「どういう気持ちでその情報を読み取ればいいのか」まで、詳しい知識がなくとも文章が導いてくれます。
その点で言うと、最近私が手に取っていたさまざまな実用書は、すべてを映像化せよというのは酷だとしても、読み始めの段階では何のイメージも浮かばなかったり、事実を述べる文章がただ並んでいるだけで、それがポジティブなことなのかネガティブなことなのか分からなかったりするなど(~~が~~した。すると、~~が~~する。ここから~~が~して…)、読み返しを要求する要素が多かったように感じさせられました。まあ、何も知らない人に「分かったような気にさせる」文章が、はたして良いものかどうかはまた別の問題ですが……。
面白いと思うのは、先に上げた(私にとっての)読みやすさの要素が、翻訳業務においてはあまり実現できないということです。構成や主観の入れ具合は勝手に変更してはいけませんし、文章の書き出しはしばしば長文だったりします。また、無生物主語や指示語の多用は、スタイルガイドで禁じられること多々。長すぎる文章は切ることもありますが、やたらブツ切りにもできません。
せっかくの発見ではありましたが、これらを活かすのは、自分で文章を書く時に留めておいた方がよさそうです。それから、自分が文章好きだという幻想を捨てて、今の文章のつくりに歩み寄ることも、たぶん必要なのでしょう。