塾の講師をしていました(庶務課、光留)。
比較的名の知れた会社ではあるものの、その地では立ち上げて間もなく、人もいなければノウハウもあまりない。新卒で入社した会社を辞めた後、私がアルバイトとして勤務を始めたのは、そういうところでした。いつまでもフラフラしているわけにはいかなかったのです。着慣れる前に使わなくなってしまっていたスーツに身を包むと、少しばかり気が引き締まり、見た目だけはいっぱしの成人であるという気分が戻ったものでした。
さて、その塾で私が所属していたのは、「社会人」と呼ばれる集団でした。その塾では、講師という集団全体を「大学に在学中の者」と「卒業し、学生の身分でない者」の2つに分け、前者を「学生の先生」、後者を「社会人の先生」と称していたからです。
この「社会人の先生」と呼ばれた方々には、(正社員として雇われているごく少数の先生を除き)共通して一種独特な空気が感じられたものでした。それは、自分たちが世間一般に言う「社会人」として一人前ではないという気持ちです。特に、「社会人の先生」のうち比較的若い人は、みな何かになることを目指しながらも、さまざまな事情で普通の道を外れた人ばかり。その意味で、どこか完全には自信を持ちかねていたのかもしれません。ある人は教員採用試験の勉強をしていました。ある人はロースクールを目指していました。私が特に仲良くしてもらった先生も、医学部の再受験のための勉強をしていました。そして私は、翻訳または通訳の仕事を目指していました。
それにしても、社会人。私はこれを、なんと罪深い言葉だろうかと思うのです。
ためしに、「社会人」という言葉が一般にどのように用いられているかを検討してみましょう。「社会人」に学生が含まれないという点には異論がなさそうです(私はこの時点で疑問なのですが)。主夫・主婦はどうでしょう。議論は分かれそうですが、学生のうちに結婚し、そのまま卒業して主婦・主夫になった人がいたとして、その人を「社会人経験がある」と思える人は多くないんじゃないでしょうか。
では金を稼いでいればいいかというと、そうでもありません。たとえば、フリーターはwikipediaを見ると社会人に含まれると考えるのが自然ですが、Google検索では「フリーターは社会人か」といった質問が出てきます。このことを裏返すと、フリーターを社会人ではないと考える人間も少なくないのだと言えそうです。
フリーターがだめならきっとパートもアウトに違いありません。逆に、「フルタイムの会社員」ならほぼ「社会人」であると言って間違いなさそうです。もっとも、「社会人なのに親元に居るなんて」などというイチャモンもありますので、「社会人」の中にも何らかの序列があるのでしょうけれど。
医師、弁護士、教師などはちょっと微妙みたいですね。「社会人でない」という見解は見当たらないものの、「社会人経験がない先生」「社会人経験のある医師」などの言葉を見ると、こうした専門職業と「社会人」とを無意識に異なるものと見ている人も一定数存在するのかもしれません。
ともかく、その意味するところは多くの場合「民間企業の正社員」(+一部職業人?)に、多少の品行的要素を加えたものでしかないにもかかわらず、その字面は「社会の一員たる人間」なのです。ですから、「民間企業の正社員」でも「世間で立派であると認知される一部職業人」でもなかった私たち「社会人の先生」はみな、どこか似合わぬ服を着せられているような気恥ずかしさを感じると同時に、暗に社会の一員になり損ねた気分を共有していたのではないか。少なくとも私には、そのように感じられるのです。
もっとも、皆がどことなく後ろ暗さを感じながら生きていたのは、世間一般には褒められたものではないかもしれませんが、どこか心惹かれる美しさがあったように思い出されます。人によっては、負け犬同士の傷の舐めあいにしか見えないこともあるかもしれませんし、私も、そのような心地よさがなかったかと言われれば否定はできませんが、どこかこう・・・。いえ、やめましょう。この点は何か言葉にしようとすればするほど感覚とズレていく気がしてなりません。
翻って現在。縁あってこの会社に拾われた私は、正社員として働いています。一人暮らしも経験し、結婚もしました。どこを境とするかはさておくとして、再び「社会人」たる条件を満たすようになったと言っても問題なさそうです。
「会社人って言えよ」などと反発を覚えながらも憧れ、同時に呪わしい重圧としても感じていた「社会人」。なってしまえばちっとも威張れるようなものではありませんでした。しかも、「社会人」となった後もなお、私の社会性は落ちてゆく一方です。口頭コミュニケーションの技能は退化し、スーツを着ることもほとんどなくなりました。年賀状は3枚でした。学生や塾講師の頃の方がよっぽど社会に関わっている。
それとも、こんな私は社会人ではないのでしょうか?
この世は多数決。ぼんやりとした言葉に怯えたってしかたがない。そう思いながらもついつい考えてしまう私は、生涯世間に胸を張って生きていくことができないのかもしれません。あるいは、そもそも社長がパジャマで働いている会社(※)だからいけないのかもしれません。
(※)弊社テクノ・プロ・ジャパンでは、オフィスに社長が常駐しておりません。社長はこの記事にもあるとおり、自宅で作業していることが多いのです。「パジャマで出社してくる」という意味ではございませんのでご注意ください。