庶務課の光留です。小さいころ、我が家は定額のお小遣い制ではありませんでした。「何もせずとも毎月決まった金銭を渡す」という教育方針ではなかったのです。その代わりに、各種のお手伝いにつき、報酬という形で少額のお金をもらえる仕組みになっていました。たとえば、家の掃除は1回100円、お風呂掃除は50円、といった具合です(夜の食器洗いは、兄弟で持ち回りの無料の仕事でした)。
全部を一人で毎日やったとしたら、それなりに裕福な幼少期を過ごせたのかもしれませんが、そこは遊びたい盛りの年頃。それに、我が家は3人兄弟でしたから、支払いの発生するタスクを独り占めするということも能わないといった次第で、なかなか思うように好きなものを手に入れられなかったことを記憶しています。念のために補足しておきますと、当時はスーパーファミコンの全盛期で、ソフト一本が1万円した時代です。のちに、次世代機が出て5800円くらいに落ち着きましたが。
さておき、この経験は大人になってから振り返ってみると、私の経済観念を形成してくれたという意味で、結果的には良いものだったのでしょう。収入の範囲で生活するであるとか、手元にある程度の現金を残しておくであるとか、そういった手堅さ・堅実さというものを、ある種自然に身に着けていくことができたわけですから。
しかし、今、私は解せないのです。
・・・なぜ、こんなCDが家に存在するのか。いえ、覚えているのです。確かに買ったのです。ミッチー・サッチーの熟女バトルが連日、ワイドショーを賑わせていたころでした。新宿のCDショップでした。価格は1200円前後。お掃除なら12回、お風呂掃除なら24回分です。堅実さとは。そして経済観念とは。本当に培われていたのか。我が家の教育方針は、本当に正しかったと言えるのか。
というわけでみなさま。人生には上りも下りもあるけれど、まさかの坂もあるものです。これからも、暗闇の峠を歩かないように さっそうと歩いていこう ではありませんか。私からは以上です。よろしくお願いいたします。(庶務課、光留)