私たちがお客様からお金をいただくことができるのは、お客様の「面倒くさい」を解消してあげるからである。と、新入社員として初めて勤務した会社でお世話になった方の言(庶務課、光留)。

 

確かにそうなんですよね。私たち翻訳業界の人間も、「別の言語で書かれたものを読むのが面倒だ」とか、「別の言語で書くのが面倒だ」といったお客様のために存在しているわけです。

営業職でありながら「お金を稼ぐ」ということに対して罪悪感を持って仕事に望んでいた私にとって、この言葉は大きなパラダイム・シフトをもたらすものでした。目の前の商品は、自分のために売るのではありません。誰かの助けになるから広めていくのです。目の前が開けた気がしました。仏陀よ、これが悟りというものか。

ただ、いかんせん新入社員です。禅宗で言うならまだまだ「喝!」などといって木の棒で叩かれている段階です。劇的に何かができるわけではありません。とはいえ、千里の道も一歩から。まずは身の回りのことから少しずつ、他人の「面倒だ」を解消してあげることにしていこうと、そう考えたわけです。

 

さて、そんなある日、電話が鳴りました。上司や、先輩社員の手を煩わすわけにはいきません。率先して取りますとも。

「○○社のアベですけど」

・・・知っています。上司の担当する取引先の、結構偉い方です。ふと横を見ると、今さっきまでそこにいたはずの上司は、席を外していました。

「Aはあいにく席を外しておりますが、私でよろしければお伺いいたしましょうか?」

「ありがとうございます。例のXXのサンプルなんですけれど、明後日までに私宛に送っていただけないでしょうか。急遽必要になってしまって」

「かしこまりました。住所は御社のホームページに載っているYYでよろしいでしょうか?」

「ええ、そうです。アベ宛と書いていただければわかりますので」

ところが、アベという姓の漢字はいくつかあります。

「恐れ入りますが、アベ様の漢字は・・・」

「あー、えーっと、どういう風に説明したらいいんでしょうかね、安いではなくて、あの、難しい方のあの・・・右に”カ”みたいな・・・、えっと」

いけない、お客様が困っている。我々ビジネスマンは、お客様の「面倒くさい」を解消しなければなりません。そのためには、ここで全部の説明が来るのを待っていてはならない。アベ様は「カ」とおっしゃった。カ、カ・・・?

そうだ、「可」だ。つまり「阿」だ。わかりました。阿部です。ご安心ください、阿部さま。もう大丈夫です。私も入社数か月とはいえ、ビジネスマンの端くれ。お客様の「面倒くさい」、解決してみせます。私は言いました。

 

「わかりました、阿修羅の阿ですね」

 

無事電話を終えると、いつの間にか上司が戻っていました。

「会議室に来なさい」

そのとき私は見ました。現代に生きてました。不動明王