運動といえばですね。最近、グラップリング教室に通っています(庶務課、光留)。
正確には、キックボクシングジムに入会し、そこでフリーのトレーニングのほかに、週一でやっているコースに参加しているという感じですね。
もともと、家での運動には空手やボクシングの動きを取り入れていたことですし、運動不足解消も兼ねてキックボクシングをやれたらいいなという思いで入会を決めたのでした。で、色々見ていると、曜日によっては柔術の類も教えていると知り、どうせなら掴み技もできるようになりたいと、その程度の考えだったのです。
ところが困ったことに、そのクラスの教え方は多分に体育的というか、部活的というか、要するにあまりシステマチックではありませんでした。「習うより慣れろ」とでも言うのでしょうか、一応「エビ」や「脚回し」などの基本とされる動きや、チョークスリーパーをはじめとする技をいくつか教わりはしたものの、あとは突然のスパーリング。立ち膝の状態で向かい合った相手に対して掛ける技すら知らない。サッカーで言うならインサイドキック、テニスで言うならフォアハンドしかしたことがないのに試合形式の練習に入るようなものです。
当然勝てはしません。経験者がちょっと本気を出したらすぐ決着です。比較的日の浅い方が相手ならかろうじて負けはしないものの、それはどちらかというと相手の技術の問題で、こちらがうまくやれているわけではない。
自然と、フラストレーションが溜まります。どうしていいかもわからないなかで、ひたすらに自分の下手さばかりを認識させられることの面白くなさときたら。蘇る体育の授業の記憶・・・
一度もゴールを決められなかったバスケットボール、レシーブが必ず左に飛んでいったバレーボール、11mだったハンドボール投げ・・・
キックボクシングでは、初日からフォームの綺麗さを褒められていたのに。なにせ、15年以上も日々鏡の前でシャドーを続けてきたのです。キックボクシングのクラスの方に参加すれば、きっともっと楽しくやれるでしょう。上達の快感も得られるに違いありません。
・・・しかし、私の気持ちはその誘惑にNoを突きつけるのです。理由は、完全にはわかりません。負けて悔しいというのとは、ちょっと違うのです。言うならば、新しいことを始めるのはしんどいけれども、たまにはそのしんどい気持ちを思い出さなければならない、といった感じでしょうか。
思えば、歳を重ねれば重ねるほど、ゼロから何かをやるというのは難しくなります。単純にゼロのものが少なくなってくるというのもあるでしょう。しかしそれ以上に、私たちは自分の「できそうなこと」ばかりを選んでしまう。そして、心地よく築き上げた小さな塔から出ることをしなくなる。もちろん、何か得意分野に特化するというのも大事なことではあります。しかし、それだけでよいのかと。そういうことなのです。
そもそも、IT分野を中心に翻訳をしている私ですが、ベースとしているのは今でも、通訳学校と医学翻訳学校で勉強した内容です。将来を見据えて最短距離を歩もうとするに越したことはないのは事実ですが、結果的に何が近道になるかなど、そうそうわかるものではありません。
とすれば、絶えず自分の意識の何割かを、新しいものに向けておくしかないのです。で、そのためには、新しいことを始めるときの気持ちに慣れておかなければならないのです。
・・・強いて言語化するならそんな思いで、私は今日もハンドグリップで握力の増強に励みます。憎いアンチクショウの骨を握りつぶすまで。
そう、初日のスパーリングで、周りとの間に週1では絶対に追いつけないほどの技術差を感じた私。ならば、技術に関係なく、かつ、相手がいなくともトレーニングができる攻撃、「単純に握るだけ」を武器にしようと考えたのでした。
まぁ、汗をかいた人体はとっても滑るんですけどね。気がついたのがハンドグリップ購入後だったのです。今さら引き返せないのです。
そして、滑るといえば。ジムで着ているTシャツ。
今日に至るまで誰にも突っ込まれていないのですが、滑っているのでしょうか。