今年のチョコレートは10個でした。(庶務課、光留)
ジュリーさんをはじめとする同僚の女性陣2名から1箱ずつ、それぞれが5ピース入りでしたので、2×5=10という論理です。世間では2個というのかもしれませんが、考えてもみてください。わざわざ5つの要素から成る集合の数の方をカウントする意味がわからないではありませんか。それならば、この世に存在しうるチョコレートの集合1つ1つを要素とする集合をもって、世の中のチョコレートが1つであるとの論理が成り立ってもおかしくはないのです。そして、そのような考え方に立つならば、世の中で配られる・渡されるチョコレートの総量は1つ、つまり、われわれは皆1つのチョコレートを分けあって生きているとも言えるわけです。万物はひとつ。かくして、世界は愛に包まれた。ハッピーバレンタイン。そんなバカな。
そういうわけで、今年のチョコレートは10個。そう考えると、私も随分おモテになっていると感じずにはいられません。人間には人生で3回モテ期があるといいますが、そのうちの1つは今であると、そう言っても差し支えないのかもしれません。
思えば、いつかくるモテ期の存在には悩まされたものでした。初めてそれを意識したのは中学生の頃だったでしょうか。クラスメートの一人から、「大学生くらいになったらいい感じになりそうだよね」などと言われたことを記憶しております。ところが、いざ大学生になってバイト先のマダム様方から言われるのは、「働くようになって25歳くらいになったらモテるわよ」と。そして、25歳になると、「30歳くらいに一番モテそうだわね」と。私にとってモテ期とは、鼻先に吊るされた人参のごときものでした。あるいは、ゼノンのパラドックスの亀。アキレスは永遠に追いつきません。
しかし、突き詰めて考えてみれば、いくらモテ期が来ているといっても、私が登場するやいなや東京ドームが全員総立ち、黄色い歓声に包まれるなどということはありえないわけです。そうすると、われわれ一般人のモテ期というものはもっとささやかなものであって、場合によっては、到来に気がつかないほどかすかな陰影にすぎないのかもしれません。たとえば、電車で隣に異性が座ってくる頻度がちょっと上がるとか。
ひるがえって私。定義はどうあれ、今年のチョコレートは10個。年賀状よりも多い10個。14日に買ったサンマルクカフェのチョコクロも合わせれば11個。一般人としては、間違いなくモテ期です。